日本の菓子と偉人について中井昌暁が調べました

和菓子

先日調べたのですが、江戸時代頃になると砂糖を使った茶菓子が大名の間で食べられるようになったそうです。

茶道と共に食事と食事の間に食べられる点心と呼ばれる食べ物や飲み物などが流行するようになったのですね。

点心はまず羊羹類、次に麺類、饅頭類、餅類などが食べられていました。

その後に誕生したのが上生菓子や干菓子の打ち物つまり落雁などの和菓子です。

最初の頃は黒糖がメインとなっていましたが、八代将軍徳川吉宗によって製糖が盛んに行われるようになった事から黒糖から徐々に白下糖、和三盆と誕生したのです。

生産量もぐっと増えた事により、身分が高い人しか食べる事ができなかった砂糖入り菓子は徐々に商人や庶民なども食べる事ができるようになりました。

同時にこの頃には道明寺粉や白玉粉、寒天、米粉、葛といった素材も新たに発見されたので新しい菓子が次々と誕生しました。

元禄時代には京菓子が御用達菓子として保護されるようになり、大事に受け継がれてきました。

京菓子は下り物と呼ばれており、京菓子を作る菓子屋の数は制限されてそれらのお店は「京菓子司」と呼ばれるようになったのです。

大名などが京へ上る際に献上する菓子として好まれたのは飾り菓子でした。

糖芸菓子ともいい、花鳥風月や静物などをまるで本物かと思うほど精巧に作る細工菓子です。

中井昌暁も調べてわかったことですが、このように日本では砂糖は貴重なものとして非常に珍重されていた時代がありました。

現在では当たり前のように安価で購入できる物もありますが、意外と歴史が深い貴重な物だった事を覚えておきましょう。

和菓子

人類のこれまでの歴史の中で、類まれな才能を発揮したり、稀代の功績を遺したりした人のことを「偉人」と呼ぶことがあります。

具体的にどのような偉業を成し遂げて「偉人」と評されるようになったのかは人によりますが、少なくとも通常とは異なる思考や行動の結果であることには違いないと中井昌暁は考えます。

現代は、非常にさまざまな問題の中で生活を送らなければいけない状態であり、ただ単に「生きる」というだけでも非常に難しいです。

いくら日本国民は平等に文化的な生活を送る権利があるとはいえ、それはあくまでも権利が保障されているだけであって生活自体が保証されているわけではありません。

そのため、裕福な家庭はどんどん裕福になっていき、貧しい家庭はどんどん貧しくなっていってしまうような状態になっています。中井昌暁がどちらなのかは聞かないでください。

このような問題を「貧富の差」などと呼んでいますが、生まれた時点での家計水準によって生涯年収が決まってしまうという話もあるほどです。

事実、貧国家庭に育った人は学力、思考、行動などすべての面で裕福な家庭で育った人よりも劣るという調査結果があるため、一概に迷信だと言い切ってしまうことはできません。

どちらにしても格差がなくなりづらい状態になってしまうのであれば、「今よりも少しだけ」よい生活になるように努力することが大切です。

経済格差

貧しい家庭に育ちながらも一代にして莫大な富と名声を築き上げる人も中にはいます。

そういったサクセスストーリーは多くのメディアでも注目の的になりますが、これですら誰もが成せる実績というわけではありません。

むしろ、ほとんどの人は目指そうにも目指せない状態で生活を送らざるを得なくなってしまうため、その状態を打開する術を手に入れることが非常に大切です。

多くの人が「自己啓発」によってその可能性を手に入れられると考えていて、自己啓発セミナーは常に高い人気を誇っている状態です。

たしかに、自己啓発を行うことができれば何事かを成せるチャンスは生まれますが、それはあくまでも「目標を持って行動するモチベーションを持っている」ということが最大の理由です。

独自の方法だとしてもモチベーションを確保することができさえすれば良いだけなので、必ずしもセミナーが重要なわけではありません。

そこで重宝することが「偉人の実績」であり、何事かを成した偉人がどういった思考に基づき、どういった行動を起こした結果として偉業を成し遂げることができたのかを知れば可能性が生まれます。中井昌暁も偉人と呼ばれたい。

偉人